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年に数回は聞く部活の体罰。あれほどニュースでも取り上げられているのに、なぜ未だに無くならないのでしょうか?よく耳にするのが、教育熱心だったという教師の評価。教育熱心だと体罰を与えるような教師が育ってしまうのであれば、何か違う気がしますね。体罰まで行ってしまうのは何が原因なのでしょう。



◆いつまでも無くならない部活の体罰。本当に部活には体罰が必要なのか?

実は私自身は運動音痴で、走るのもビリから2番目。飛んでくるボールは受け止められないと、体育の時間が嫌で仕方がありませんでした。それだからか、運動が出来る人がとても羨ましく感じていました。部活は運動だけではなく、厳しい指導というと吹奏楽なども挙げられますね。しかしテレビで拝見していると、体力が無いと出来ないというのは共通のような気がします。さて、体力も消耗して取り組む部活に、いつまで経っても体罰問題が無くならないのはなぜなのか?監督する側はどのような心境なのでしょうか?




・成績を残せない時自分の実績が邪魔をしている

全国大会を目指していて、例年好成績をあげている学校は顧問や監督も、ご本人が成績をあげてきた方や、優勝に導いた実績のある方が担当になるケースが多いようです。そこで優勝に届かない年が続いてしまうと、監督自身が焦ってしまうのだと思います。本人は気付いていないケースが多いでしょう。本当は誰のせいでもないのですが、自分の焦りに目を向けずついつい生徒に当たってしまうのです。そうではない先生が多いとは思いますが、練習量が足りないからだ・気合が足りないからだと生徒に問題があると捉えてしまいキツク当たってしまうのです。自分が担当しているのだから、こんな成績のはずが無いと思い込んでしまうのですね。時代も違うし体つきも変わってきています、ご本人が優勝した時代とは違うのです。優勝したから偉いわけでもありません。自分の過去の実績は心に留めておいて、今に合う指導を考えて頂きたいものです。

・自分が耐えてきた環境が悪かったと思っていない

一昔前まで、かなり厳しい指導は当たり前とされてきました。実際私が中学生の時、体育館の前を通ったら、生徒が一列に並ばされて、先生が順番に平手打ちをしていっていました。運動音痴で良かったと思った瞬間でした。運動が出来たらあのような事にも耐えなければならないのかと、自分がされているわけでも無いのに怖かったし、未だに覚えているほどです。しかし、そのおかげで忍耐力がついたとか、鼓舞する力がついたと、いい方向に捉えられる方もいます。そのような方が大会などでも好成績を残しているのでしょう。結果、良い事だと脳に刷り込まれているので、体罰を指導だという考えが変えられないのです。大変だったけれども、このように育ててくれたのは先生のおかげだと信じているのです。

・喜びを与えてあげたいと思っている

優勝などの好成績を残せた時の喜びというのは、最高なのだと思います。一緒に戦ったチームのメンバーと抱き合って喜び、涙を流す。そんなシーンを見たら、こちらも目頭が熱くなりますよね。それが最高にうれしい事で、達成感というのは何とも言えない喜びになる事を、先生は知っていて、生徒たちにも味合わせてあげたいという気持ちなのかもしれません。もちろん勝ったそばから次の目標を口にして目を輝かせている生徒の方もいらっしゃいますが、勝ってこそ見える目標もあるはずなので、先生はそこも見据えていらっしゃるのかもしれません。

・厳しい指導と厳しく当たるの違いが曖昧になってきている

シンクロナイズドスイミングや吹奏楽団であっても怒号が飛び交うのをテレビで拝見したことがあります。厳しく指導というのは受け取り方と考え方として、本当に難しい問題だと感じます。きっと沢山の部員が入部して耐えられず辞めていった生徒さんもいらっしゃることでしょう。そのような中残った方々ですから、根性もただ者ではないでしょうね。しかし、ニュースでもあった殴るなどして生徒に怪我をさせてしまうのは、指導というよりハッキリとした体罰と言えます。剣道などの対面してその流儀の中で打つのとはわけが違います。指導するうえで、厳しく叱咤激励する事と、体罰の違いは指導する側がしっかりと認識を持たなければいけないと言えます。


体育科教育学研究の阿江 美恵子(東京女子体育大学)の記事


◆体罰を受けない世代の世界的な活躍をどう見る?すでに世界に通用する時代

スノーボードやスケートボード・サーフィンなど世界で活躍する方々が非常に多くなってきましたね。また、野球やサッカーなどでも海外のチームの中で大活躍です。このような方々はどの様な指導の下育ったのでしょうか?大谷翔平さんは、自身で目標を掲げて紙の真ん中に書き、それを達成するために必要な事を目標の周りに書き、さらにその周りに必要な事を達成するための自分の動きを書いていたそうです。一度見たことがありますが、とても緻密なものでした。今ではメジャーリーグで大活躍の大谷翔平さんですが、このように自分で分析をされていたのですね。



・自分で考えられるようになってきている事を知る

現代の子供たちに対して、ゆとり世代や悟り世代、Z世代などと頼りないと思うような意見を言われる方々もいらっしゃいます。しかしながら、全ての若い方々がそのようなものとは限りませんし、実際様々な分野で成績や功績を残されている方が多くいらっしゃいます。昭和や大正時代だって、本当は同じだったのではないでしょうか。昔は言われたとおりに動き、言われたとおりにするという事もありましたが、今は自分で考えて行動することも必要とされてきています。それをしっかりと理解して行動出来ている若い方も多く見ます。いつまでも出来ないと思わずに、出来ている事にも目を向けるべきだと感じます。

・学生ならではの壁にぶつかった時に適切なアドバイスをする

当然社会経験もなく、出会っている人の数も大人とは違うわけですから、いくら考えても本人に導き出せない問題を抱える事もあるでしょう。そのような時こそ、指導者というのは必要な事だけをヒントとして与えて導くものだと思います。ここで注意が必要なのは、全てを牛耳ってしまうのはよくありません。人それぞれヒントから導き出す答えは違いますし、道も違います。指導者の考える道に進ませるのはお勧めしません。また、壁にぶつかっていても自力で脱出したい子もいるかもしれません。それなので全てを教えきるのではなく、適切なヒントや助言が必要となります。

・練習量や体力に体罰は必要ではない

様々なスポーツや部活動で、練習時の内容は違うでしょう。体力が必要な部活は多いと思いますが、体力をつけるのに体罰は必要ありません。しかもトレーニング内容や量を、絶対先生が考えなければならないという事もないでしょう。チームで何が欠けているか?という問いにディスカッションしてもらい、それを補うためにどのようなトレーニングをするか?と自分たちで決めてもいいじゃないでしょうか。そのような学校も存在するかもしれませんが、大体は指導者のメニューをこなしているのではないでしょうか。先生が決めたプランであっても達成するのに、体罰は要りません。どうすれば達成できるかが大事なのです。

・生徒と顧問の目標は同じなのか?

先生の熱量と生徒の熱量が一致している部活は強いでしょう。目標も同じことと言えますが、ここに差や違いが出てくると、良くありませんね。当たり前でしょ?と思われるかもしれませんが、スタートした時は同じ思いでも案外ズレが生じる事もあります。この差をどれくらいのスパンですり合わせをして正していくかも必要不可欠なのです。子供たちはまだ脳がしっかりと成長しきっていませんので、これで合っているのか?など悩みながら成長します。その時に考える時間も与えず、ただただ言われたことをさせてしまっては解決する力がつかないまま卒業してしまいます。指導者はある程度の期間を設けて、それぞれの成長の形成にも役に立たなければいけません。

以前に書いた記事:子供に対して言葉の虐待をしていませんか?子供のために一刻も早くやめてください

最後に

運動も出来ない私が、あれこれと偉そうに書いてしまったかもしれません。しかし、体罰が原因で命を落としている子もいるので、放っておくわけにはいきません。どうか、未来ある若い方々を良い方向に導くために、必要のない体罰は止めてほしいものです。顔や体にできた傷やあざはいずれ治るでしょうが、心に刻まれた傷はなかなか治りません。そこまで面倒をみるつもりが無くまた、面倒を見れないのであれば、やってはいけない事はやってはいけません。どうか、不必要な体罰が無くなり、生徒が自分たちで率先した取り組みが出来て、世界で活躍する方々が増えますように祈っています。

2023年2月28日
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