自分は根暗だと感じた事はありますか?私は幼少期から親との問題もあり、かなりの根暗でした。抜け出すとか克服するとか、そんな事さえ知らない(分からない)状態だったように思います。しかし年を重ねるごとに、変えたいと思い、脱却するために動き出しました。では、どのように克服して、その後状態を保つためにしている事を紹介します。
目次
◇私は根暗をこうして克服しました
私は根暗だからと諦めて、抜け出そうとしていない方もいますよね。その状態が安定していて、特に問題ないのであれば構わないと思いますが、私の場合は見る夢は悪夢ばかりだったり、人を見る時に悪い事ばかり考えたりして、気が休まる時がありませんでした。何でも率直に接する人を見て、とても素敵だなと思いました。そこで、私が挑戦した克服方法を書いてみたいと思います。細かな事は省いて、大きく影響したものを挙げています。
☆幸せである事を挙げていく
まずは『幸せ』である部分を認めるという事です。私が育った鹿児島では、【成功は皆のおかげ、失敗は自分の責任】と教えられてきて、さらに謙遜して調子に乗らないという文化でした。もちろん、夫は嫁を家でも外でも褒めませんし、両親は外では子供を褒めません。そんな環境で育つと、自分は何も出来ない落ちこぼれのように思わされ、もっと出来なければ役立たずという印象を持たされるのです。このように育てられた私は、自分は頭が悪くて、不細工で、何の服も似合わない子と思って成長しました。幸せと思う事自体に抵抗があり、良い事があったら悪い事が起こりそうで不安でした。しかし、とある出来事があり意識を変えられました。当時の私に問いかけられた質問に対して答えていくと、自分には仕事があり、収入があり、住む家があり、着る服もある。また、友人も居てパートナーも居ると気付かされた時に、きちんと幸せに思える事があるじゃないかと実感したのです。当たり前な事かもしれませんが、当時の私には衝撃だったのです。そこから、自分は当たり前と思っていても、それ自体にきちんと『幸せ』を実感するようにしています。
☆他人が思う事を気にしない
私は、押さえつけられて生きていたので、人様からどう見られているか?という事も気になっていました。実家に居る時は、そもそも親が、他人から言われた事や親せきから言われた事で、私を叱ったり、しつけたりしていたので、私がよそ様の評価を気にするようになったのは仕方がない事だと思います。しかしこれも、ある出来事で変化がありました。エピソードは細かすぎて書きませんが、ある家族に認められたい事があったのですが、その人たちに認められなければならない理由は無かったのです。それなのに、必死に『なぜだろう?』と悩んでいました。これは、その時に人から言われたのですが、『なぜ、その家族に認めてもらわなければいけないのですか?』というものでした。その瞬間、『ほんとだ!!』と思ったのです。私自身の事なのに、人からの評価ばかりを気にし過ぎていました。それから、自分自身が決定した事に対して、人の目を気にしなくなったと思います。ただし、意見やアドバイスなどは適宜聞いています。
☆大切にする人を決める
幼少期から友達が多い方では無かったので、大人になって勤め始めたら、出会った人全員と上手くやろうとしていました。ところが、中には色々な人がいるもので、平気で裏切られる事もありましたし、利用される事もありました。それでも自分は相手を信じて、いつかは分かってくれるだろうとか、何かあったに違いないと考えていました。当然自分一人で考える事なので解決はしません。そのため、なぜだったのだろうと疑問を抱えたまま、周りに裏切られたのだと言われても、まさかそんなはずは無いと思っていたのです。そうしていくと、人間関係がストレスになり初めて出会う人に警戒心が生まれるようになってしまったのです。それでも社会人となれば対人関係が全く無くなるわけではないし、全てが悪い人とも限りません。ある人から、『生き辛そう』と言われ、これも考えを改めてみようとトライしました。まずは付き合う対象を、出会った人全員という枠から、大事に思う人に変えました。同性・異性関係なくです。そうする事でストレスが無くなり、対人関係に少しずつ苦手意識が薄れてきました。今は、上手く調整しながら人とお付き合いをする事が出来るようになりました。
☆親からの観念を剥がす
以前にもブログで書いているのですが、私の人生でこの親の観念というのが最大の敵でした。凝り固まった観念を剥がすには時間がかかりましたし、何度も疑心暗鬼に陥りました。自分をしっかり持っていると自信があったのですが、それは親から植え付けられた事や、親を見ていて勝手に作り上げたものだったのです。自分から学びたくて学んだものは無く、一番残念なのが親の都合の良いものだった事です。親の顔色を見て、長として持ち上げ、物分かりの良い人間に仕立て上げられたと言っても過言ではありません。これを親が聞いたら悲しむかもしれないと思う事もありますが、自分がしてきた事への答えですから、仕方がありません。私は私の人生を自分で決めて生きる権利があります。たった一人で見知らぬ土地へ出た18歳の時、不安が大きかったが親から離れて、自分の人生を歩むのだと決意した時の方が、はるかに生き生きとしていたと思います。親からの自立とも言えますが、それより何より支配から逃れたという自立です。私は、危害を加える親を怖がって、言われるがままの人生では無く、自分で決められる人生を選べました。だからこそ、時間がかかったとしても、親から植え付けられた不要な観念を剥がしたのです。
☆不要な物はスパッと捨てる(諦める)
若いころは感じたことが無かった事なのですが、年齢を重ねると大切にしたい物や事などが増えてきます。しかし、その捨てられない物事や、人付き合いが自分を苦しめる事だってあります。なぜかというと、長い年数がかかればかかるほど、ここまでしてきたのにという勿体ないというような感情が生まれるからです。そんなに苦しいなら手放せばいいのにと思われるかもしれませんが、その渦中にいると、それさえ分からなくなっています。不要な事だと自分で決定して良いものか!?と悩んでしまい、ズルズルと続けてしまいます。先にも書きましたが、自分を大切にするという事は、辛い状況や環境からは外れる必要があります。私のきっかけについては実はあまり記憶に無いのですが、様々な事が整理整頓出来るようになったら、自然と不要なものと、必要なものが明確になってきたように思います。それでも時には迷う事もありますが、そんな時は私のご神木ともいえる友人に相談しています。ですから、迷っても良いと思っています。悩んでいる物が、キーホルダーとかぬいぐるみでは無く、仕事自体や、人付き合いだと、そんなに簡単に捨てられないからです。しかし、悩んだり相談したりして、決めた事はスパッといきます。決めたのにも関わらずズルズルしたとしても、誰のためにもならないからです。
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◇克服後にどうやって自分を保ち続けるか
さて、このようにして少しずつ根暗な性格から抜け出せたように思う私ですが、抜け出す事よりもキープする方がはるかに大変な事だと気付きます。世の中には色んな人が居ますから、自分を悩ませる人に出会うと、あっという間に元の自分に戻ってしまうからです。では次に抜け出した後、私が続けてしている事を書いてみたいと思います。克服した後に、わざわざ考えて取り組んだ事では無く、今振り返ってみると自分がしていた事と言った方が近いかもしれません。今すぐにでも出来る事もありますので、是非参考にしてみてください。
☆人の事は人の事!私の問題ではない
幼少期から厳しい躾けや環境で育った方は、とても感受性が強い人が多いですね。そのため、自分以外に起こった出来事を、まるで自分に降りかかった災難のように受け止めて悩みます。まさしく私もその一人でした。聞いただけで、悔しくなったり悲しくなったりするのです。逆に、喜ばしい事は『良かったね』と、相手を称えたら相手の功績として終わります。それを続けていくと、映画やドラマはフィクションの世界と、どことなく冷めた目で見てしまい、感情が薄くなってしまいます。それ自体が、良い事・悪い事という訳ではありませんが、とても寂しかったです。そこで、仕事をしながら一つ試してみることにしました。カウンセラーになるきっかけとも言えますが、相手の目線で話を聞き、相手の見ている世界を同じ目線で見ながらにして、相手の世界には入らないという事です。とても難しいですよね。しかし、カウンセラーを目指す私には、とても重要で必要不可欠な手法でした。そのおかげで、とても楽になったような気がします。相手の話を真摯に聞きながらも、自分自身が落ち込むという事なく、冷静に物事を判断出来るようになったので、相手は言いたいだけで、解決を求めているわけでは無いという事もハッキリと分かってきました。そのため、相談された時に、何か解決策を考えなければ!と勝手にプレッシャーを感じなくなったので、相手の話に集中して聞く事が出来るようになりました。
☆少しでも不安を感じたら手を出さない
話をしていると、なんだか嫌な言い方だなとか、考え方の大部分が合わず、それだけなら良いのですが、合わない部分を責められるなど、会うだけで疲れてしまう人。または、本当はやりたくないけど断れない相手、もしくは断った後の事が心配だから引き受ける。など、初めから不安要素があるのにも関わらず手を出していたことが多かったのですが、合わない人とは合わない、したくない事、やりづらい事には手を出さないと決めて生活しています。しかし、仕事をしていれば自分の得意分野では無い事も多くあります、どうしてもしなければならない時は、している事に意味を持たせるようにしています。これに詳しくなろうとか、これを次に見る人が見やすいように整えよう等です。対人関係に関しては、不安要素が見えたり、怪しさを感じたりしたら会うのを止めます。これもやってみて気付いたのですが、これまでは大体私の方から連絡を取っていたことが多かったようです。なぜなら、私が連絡しなければ嫌な人からは連絡が来ないからです。そこで、なんとなくでも嫌な感じの人には連絡しない、連絡先を交換しないというルールにしました。
☆感情は常に大切にする
幼少期の事や、周りの大人の影響で、かなり落ち着いた雰囲気になってしまいました。見た目ではなく、感情のことです。少々の事では驚かなくなり、少々の事では振り回されないので、サプライズが苦手な時がありました。なんとサプライズされる事を察知してしまうのです。ですから、オーバーに驚く振りをしなければならず、とても面倒くさいと思っていました。しかし、色々な観念をはぎ取り、自分が心地よい人と沢山会うようになると、自然に感情が出てくるようになりました。ですから、これまでは鎧を纏っていたのかな?と思います。変な意地が無くなり、素直に感情を出せるようになると、物の見え方が変わってくるのが分かります。一度良い見え方が続くと、前には戻りたくないという感情が生まれ、事あるごとに自分を素直に出す事にしました。そのためには、感情を素直に出せる、自分にとって心地の良い人と付き合いをしていくのも大切でした。自分が感じる感情を常に大切にしようとすると、おのずと心地良い人をそばに置きたくなるので、前に戻ることはありません。
☆ご先祖様や周りの人に感謝する
最後に、ご先祖様に感謝するという事です。今では年に2回、お寺で供養をしています。鹿児島まで帰ってすれば尚良い事なのは分かっているのですが、なかなかそうはいきませんので、住まいのある所でしています。また、周りの諸先輩方や仲間にも感謝です。私がこうやって進むことが出来ているのは、お導きやご指導があってこそなのでしょう。亡くなってしまった祖母の事は忘れたことがありませんが、それだけではないと気付かせてくださった方がいらっしゃいます。それから欠かさずに感謝をしています。感謝といって口だけではなく、心から感じてするのですが、感謝という事を意識して生活を始めると、日常の中にちょっとした変化が生まれてきます。単純に、ここまでしてくれたらいいのにと思っていた事も、相手がするべきとか、相手にさせようとしていたことに気付いたのです。それからは、その考えを捨てて、してくれなかったと考えるのではなく、私がしても良い事だと考えます。反対に、してくれた場合はとても嬉しく、助かるので素直に『ありがとうございます』が言えます。心から感謝するという事は、目に見えない事がきちんとキャッチボールになるのだなと実感しました。こちらも、後戻りすることなく、自然に続けられていることかもしれません。
以前に書いた記事:自分の意思は自分で決められる!決められない人は是非読んでみて
最後に
いかがでしたでしょうか。根暗で人見知りだった私は、生きにくい時期もありました。しかし、周りの方々のおかげで随分成長できたのではないかと考えています。周りの方々のおかげというのは、良い方々もいますが、当然二度と会いたくないような方もいます。でも、そんな方でも私の成長には不可欠だったのだと感じています。人それぞれ脱却する方法は違うかもしれませんが、根暗は一生治らないと決めつけるより、出来ることからしてみてはいかがでしょうか?根暗を克服したから幸せという事ではありませんが、『根暗』を実感していて、それを嫌だと感じるのであれば、変えられる可能性が高いので、一歩踏み出してみてください。