自分の事なのに自分で意思決定出来ないという方がいらっしゃいます。とても気を遣い、それで上手くいかなかったら自分のせいになるかもと、とにかく気になってしまう方ですね。では、気を遣わず言ってみたり、実際上手くいかなかったりいたら、本当に責められてしまうのでしょうか?自分で意思決定するとはどういう事か書いてみたいと思います。
目次
◇自分の意志で決められない人も大丈夫。自分の意志で決めるとは
周りに気を遣いながら生活をしていたら、本当の自分の気持ちさえ分からなくなってしまう事もあります。自分の本来の気持ちも大切にしなければいけません。あまりにも周りに迷惑がかかるような事であれば、言い方や進め方があると思いますが、そうではなく日常的な事であれば、自分で決めてみましょう。まずは、基本的な考え方からいくつか挙げてみたいと思います。
・出来ないのではなく『しない』
いい顔が出来ない、家事が出来ないでは無く、『しない』と決めてください。上司や先輩に対して、嫌悪感があるのにいい顔しなければいけないと思い、無理やり笑顔を作って接しているという事ありませんか?無理やり何もかもする必要はありません。社会人として、必要最低限の仕事に必要なコミュニケーションは必要かもしれませんが、必要以上にする必要が無いのです。仕事で接するとき以外は、自分から寄って行ったり、話しかけに行ったりせず、いい顔はいないと決めていいのです。また、休みの日や、出かける前にシンクに溜まった洗い物を見て、また洗い物が出来なかったと、思っていた片付けが出来ていない事を悔やむ必要がありません。今はしないと決めていいからです。よく『やる気スイッチ』と言いますが、必要な事はスイッチでは無く、ここでしようと決めたことは、その時間にしたらいい事で、それ以外の時間では、しないと決めていたら良いと思います。散らかっていようが、溜まっていようが、週末にすると決めたのであれば、平日はしない!と決めましょう。平日に出来なかったのではなく、しないと決めている。嫌な人にいい顔が出来なかったでは無く、いい顔をしないと決めている。という事です。
・言えないのではなく『言わない』
何だか言い返されそうだし、この後の関係が悪くなりそうだから、言えなかったという事ありますか?でも、〇〇のためだったら、あそこで言わななければいけなかったのかな?と悩むこともありますよね。そのような時も、言えないのではなく、今後の関係性の為に。とか、言い返されて長くなるのが面倒くさいから、言わなかったと決めて良いと思います。どのような場面でも言える事の方が正解ではありませんし、言えない人の方が多いものです。口に出してしまったら、取り返しのつかない事もありますので、慎重になって当然です。自分だけに関わるような事であれば、わざわざ言わなくても良いこともありますし、何も反論出来ないの?と責め立てられたとしても、自分が決められる事なので、『はい、反論はございません』でも良いじゃないですか?私は、言ってしまうタイプなのですが、人によっては関係がこじれる事もあります。余計な事は言わないようにしようと、今は決めていて、何でも思った事を言うのを止めました。それは、こじれたときに自分が疲れてしまいますし、周りにも気を遣わせてしまうからです。
・行きたくないのではなく『行かない』
友人や、会社の集まりなど、行きたくないなと思いながら、重い足を引きずるように行っていませんか?行きたくないけど、せっかく誘ってくれたし、久しぶりだしと考えつい行ってしまうというもの。疲れている時や、気分が乗らない時は外出しないと決めていいと思います。疲れているのに無理やり出てきて、楽しんでいない様子を見たら、誘った方も楽しくありません。心配して聞いてみたら、疲れているとの返事に、疲れているなら、来なければいいのに。なんて言われたら、カチンときますね。結局双方に良い事はありません。会社の集まりでも、面白くなかったり、変に割り勘を強いられたりすると、疲れているところわざわざ来たのに。と、なおさら疲れが溜まってしまいそう。初めから気乗りしない集まりには行かないと決めましょう。嫌いな人が一人でも参加していたら来ないという方がいらっしゃいます。それくらい、自分の気持ちに正直でもいいかもしれません。お金と時間を使って、嫌な時間を過ごす必要は無いからです。
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◇ワガママし放題という事では無く、自分の行動を自分で決めるの意味
ここで書いているのは、自分本位のワガママを通しましょう。と言っているのではなく、自分で自分を疲れさせてしまう事を止めましょうという事です。誰のせいにするでもなく、ワガママを押し通すのではなく、自分がリラックス出来るように、少しだけ思考をチェンジするようなイメージです。出来なかった自分を責めたり、悔やんだりせず、そう決めたのだと考えれば、とても楽になれるのです。都合が良いように聞こえるかもしれませんが、それさえ出来な人が沢山いらっしゃいます。では次に、意思決定について補足的な事を書いてみたいと思います。
・周りに合わせすぎも心が疲れてしまう
波風が立つのが嫌で、つい合わせてしまったり、多い意見に合わせれば無難だろうと自分では考えもせず合わせてしまったりすると、自分を見失い、何がしたいのだろうと途方に暮れてしまう事になります。時には合わせる事も必要な時もあるでしょうが、何につけても人の言った意見に合わせていては、疲れ果ててしまいます。気づいてくれる人がそばに居るならいいのですが、何を言っても合わせてくれると思われて、利用されるようになったら、疲れるだけでなく思わぬトラブルに巻き込まれてしまう恐れもあります。そのような事にならないためにも、合わせてばかりではなく自分が嫌な事は嫌と言った方がいいでしょう。それを言って離れて行くような人は、元から大切にしてくれる人ではない可能性が高いとも言えます。
・自分本位というより本当はどう思っているかが大切
人も我慢しているからとか、周りの人も合わせているからという考えになる方もいらっしゃるかもしれません。自分だけが、思う事を言ったりしなかったりなんて出来ないという事ですよね。しかし、人は人であり、決めるのはその人なのです。他人の思考や言動の責任まで取る必要はありません。さらに、自分の思う事と人が思う事は一致する事はありませんので、そこまで考えなくてもいいのです。それは姑や親せきでも同じことです。嫌われたり、いじめられたりすることを懸念して合わせるのであれば、それは逆にここの場所では合わせるのだと決めたという事になります。ですから、嫌々しているという思考ではなく、するのも、しないのも私が決めた事と理解できれば良いという事です。する・しない、行く・行かないは、全て自分にかかっていると言っても過言ではありません。
・家族や周りのせいにしないために
合わせてきたのに、やりたくなかったのに、と後で愚痴を言われても周りはどうする事も出来ません。また、何を求めて『してきたのに』という言葉を使いますか?感謝の言葉を言ってほしいのですか?謝罪の言葉を言ってほしいのですか?後から言ってくる人に、お礼や謝罪をしても、そんな問題ではない!と言われる事があります。では、どんな問題なのか?という所は、本人も説明できません。なぜかと言うと、自分でやると決めてした事だからです。たとえ、仕方なくしたとしても、それは周りのせいではなく自分が決めた事だと理解する必要があります。本当にしたくない事であれば、しなくても良かったのです。もしくは相談すれば良かったのではないでしょうか?他にも、『してあげたのに』という言葉も良く使う人がいます。初めから見返りを求めてしていたという事になる言葉です。その時はそうせざるを得ない事だったのかもしれませんが、この言葉を言われて喜ぶ人はいません。
以前に書いた記事:自分の為に、自分を許しましょう。自分を許せてない人、もう大丈夫ですよ。
最後に
とはいえ、今までしてこなかった事を急に変えるという事は難しいことかもしれません。理解して欲しい事は、やらない事もやる事も、全て自分が決められるという事です。誰かの助言無しでは、決定するのが怖いという方は、『行動する時には人のアドバイスを受けると決めて、人からアドバイスを受けている。』という事です。これを、自分では何一つ決められない自分にしないでいいのです。決められない時に、人からの助言を聞く事は、何も悪い事ではありませんし、私も行き詰った時は直ぐにヘルプを出して、沢山の意見を聞く事があります。その中からチョイスするのも自分が決められるし、今回の中からは自分で出来そうなものは無いから、一旦置いておこうと考えるのも自分です。そう考えると、自分で意思決定出来る事の範囲はかなり広がると思いませんか?他人事のように思っていたり、人が決めたことを逆らわずしていただけと思っていたりした事が、実は自分が決めていた事だったのかもしれません。