大都会では、ある場所に若者が集まり、薬物に手を出してしまう現状。違法な薬物とは限らず、最近は市販の頭痛薬を30錠や40錠も飲むのだとか…。昔からこのような薬物への関与は有りましたが、なぜ若者は薬物に手を出してしまうのでしょうか。ここでは、彼らに起こっている事と、そうならないために何が出来るのかを書いてみたいと思います。
目次
◇若者はなぜ薬物に手を出すのか?一体何がそうさせるのか?
現代だけではなく、私が若かった30年ほど前でも起こっていた事です。昔は、シンナーや違法な薬物が多かったのですが、最近は違法な薬物に限らず、市販の薬を使用しているようです。なぜ、若物は集まると薬物等に手を出してしまうのでしょうか。全ての若い方々ではありませんが、いつの時代も無くならない物なようです。まずは、なぜそのように薬物に手を出してしまうのか現状を書いてみたいと思います。
・寂しさや空しさを紛らわせたい
家に帰っても居場所が無い、親が居ない等の理由で、寂しさを紛らわせるために同じ境遇の子達が集まるようです。本人たちは、寂しいという感情を理解していません。本当は寂しかったり、親に求められておらず空しかったりするのですが、素直にその感情が表に出てきません。しかも、『別に』と言う風に、平気な振りをしています。感情が表に出ないため、どうしていいか分からず同じような境遇の人に寄って行ってしまうのでしょう。なぜかと言うと、何も話さなくても同じような考えだと面倒くさくないし、安心感があるからです。どことなく人ごとのように見ていて、親や世間に対して期待をしていないのも特徴的です。抜け出したいと思う子もいるでしょうが、方法も分からずその場に留まるしかないのです。
・興味本位や好奇心から手を出してしまう
周りがしているから、見ていて危なくなさそうだからと、興味や好奇心が勝ります。これは、成長段階でまだ幼い事を意味します。身体は大きくなっていても、成長の段階で踏まなければならない事をしてきていないので、本質はまだ成長しきれていない訳です。本人たちが悪いわけではなく、その子たちに合わせた段階の踏み方を、周りの携わった大人たちが出来ていないだけです。または、本人たちが成長する事を拒んでいる場合もあり、無理に成長して世間に着いていけない自分を危惧しているのです。
・自分の価値を自分で低いと判断している
親が居ないとか、学校に適合しなかったという理由などで、自分は社会に向かないダメな人間であると、勝手に評価を下げています。それなので、やってはいけない物であっても、自分を心配する人なんかいるはずが無いと決めつけて、自分自身を追い込んでいます。こちらも、発達段階ではまだ幼く、自分の価値は自分で決められる事を理解していないのです。社会や学校にいる親を含めた大人たちからの評価が、自分の評価だと思い込んでしまっています。また、自分の評価を自分で決められることを理解はしているが、上げる事に興味を示さず、この辺りでいいと無気力な感情で留まったままの子もいるようです。
・少し気分が良くなるのが止められない
実際に薬物等をしようすると、気分が良くなるので、止められなくなってしまいます。一度考え出すと嫌な事ばかり考えてしまったり、何をしていても面白く感じなかったりする『今』だけを何とかしたくて、安易に薬に頼ってしまうのです。しかも市販で売られていて安価で手に入るのだから、身近に感じてしまうのだと思います。一度その気分を味わってしまえば、事あるごとに使用してしまい、抜け出せなくなってしまいます。
・善悪はついているが反抗心の方が勝る
いくら幼いとはいえ、善悪の分別はついています。しかし、いい子になろうという感情は持っておらず、自分がどうなったって誰にも迷惑をかけるわけじゃないという反抗心から、止めようとしないのです。基本的に大人を信用しておらず、隣にいる同じ境遇の子の方を、あまりよく知らない子でも信頼してしまいます。いくら反抗していても、自分もいずれは大人になるのですが、その場所その時間は止まっているかのように現実が見えないのだと思います。善悪を語る事をダサいと思っていて、今が良ければそれでいい。違う環境になったら、その時に考えればいいという楽観視した面もあります。
報道ランナーの記事:「グリ下」に集まる若者たち 違法行為や性被害など危険な一方… 「ここが居場所」と複雑な思いも
◇子育ては楽では無いが放棄しても良いという事では無い
さて今度は、そのような子たちの親御さんはどの様な思いなのでしょうか。私も決して優秀な子供ではなく、反抗していた時期も人より長く、親に対して思う事は多々ありました。全ての親御さんに当てはまる事ではありませんが、相談の中から見えてきたことでいくつかご紹介してみたいと思います。子育てというのは本当に簡単ではありません、旦那さんが協力してくれる家庭は、まだまだ少なく、お母さんのワンオペも多いでしょう。しかし、放棄してもいいという事にはなりません。放棄せずに出来る方法を見つけたいものです。
・どうしても辛い時には周りに助けを求める
誰でも第一子を産んだその日が、お母さん初日です。大人になってから初めての事を沢山経験するわけですから、想像していたことと違う事も多いでしょう。夫に頼れる人はいいのですが、中には頼れない人も多いはずです。そんな中、子育て・家事・仕事などいくつもこなさなければならないのは、心労も溜まりますね。そのため、子供に目が向けられなくなった方もいらっしゃいます。これは、生活をしていればそのような時もあるでしょう。そんな時に、独りで抱え込まず、周りに助けを求めて欲しいのです。環境にもよるかもしれませんが、子育ては夫婦2人だけしか携わってはいけないという決まりはありません。自分を追い込むようであれば、周りを頼ってもいいのです。
・興味が無くても子を友のように見守る
子供に興味がわかず、産まれてからも愛せないという方がいらっしゃいます。この心理は色々あるのですが、ここではその心理は置いておいて、実際にそう感じているのであれば、どうすればいいかという事をお話ししましょう。愛せない子を愛せと言っても、愛し方が分からなければどうしょうもありません。たとえば、小さな友達だと考えるのはどうでしょうか?友達なので、幼稚言葉を使わなくてもいいし、出来ないからと言って自分を責める必要もありません。また、全てをしてあげるのではなく、出来る事はしてもらう。乳児の時期は祖父母や自治体に頼るしかありませんが、学校に通いだしたら、一人の自立した人(子)と見て、自分もお願いする事があればお願いする。というような間柄です。親子とはいえ、色んな形があります。自分が辛くなるような間柄では無く、楽しめるような間柄を作ればいいのです。
・小さい時から子供が助けを求められる所を作る
自分一人では、出来る事は限られています。全てをこなすのが好きな方はいいのですが、そこまで抱え込まなくてもいいのではないでしょうか。誰でもいいので、何かあったらこの人の所に行きなさいとか、普段からしょっちゅう会わせて、子供自身が自ら寄って行けるような人を作っておくのも良いでしょう。子供だって、親には何となく言いにくいという事も、他人や祖父母なら言えるという事もあります。なぜかと言うと、親以外の人は受け入れてくれるからです。親に言うと叱られるような事でも、他の大人は笑ってくれる。そんな小さな事でも、子供からすれば自尊心が保たれます。人に迷惑をかけてはいけないと考えるのは素晴らしい事ですが、子供の迷惑を受け入れられるからこそ、人生の先輩いなのですから、先輩方の懐を大いに使わせてもらいましょう。
以前に書いた記事より:子供に対して言葉の虐待をしていませんか?子供のために一刻も早くやめてください
最後に
若者たちはなぜ安易に薬へ逃げてしまうのか?それは、自分の前にある壁を乗り越える術を知らないから、つい楽な方へ逃げてしまうのです。そして、同じ境遇の仲間がいれば、どことなく安心感があり、自分だけじゃないと思えるのでしょう。そんな子供たちを救うために活動している方々もいらっしゃいますが、出来ればたむろせず、薬に手を出さない環境づくりを親だけでなく社会全体で作って行きたいものです。