最近ニュースでよく見かける、若い人たちの公共の場での振る舞いについて、皆さまどう思われますが?反発の声や、子供だからと擁護の声も聞かれる中、自分の子供だったらどうしょうと、不安になられるお母様も多いのではないでしょうか。では、どの様な子が公共の場で、様々な問題をおこしてしまうのでしょうか。
目次
◇最近の若い人は、なぜ公共の場でやってはいけない事をしてしまうのでしょうか
本当は最近だけでなく、このような問題はあったはずだとは思います。現在は防犯カメラやSNSの浸透で、表に出る機会が増えたため、私たちが知ることが増えてきただけかもしれません。成人が18歳に引き下げられる現代、高校生が犯してしまう迷惑行為と言われるもの、本当に成人に含めても大丈夫なのかという声が上がってきていますが、まずは、当の本人たちの心境はどのようなものなのかを挙げてみたいと思います。
・やってはいけない事だと理解はしている
いくら小学生でも、やってはいけない事であるという認識は持ち合わせているようです。認識しているのに、やってしまうのが問題なのですが、ここでは自制心という物がしっかりと機能していないがゆえに起こるとみられます。簡単に言うと、自分をコントロールできないという事です。電車の中や、レストランの中でもニュース程では無いにしろ、自分をコントロール出来ず、思うがままに行動しているのも同じです。
・世の中の様々な事に対して、なぜ?という疑問を抱いている
『なんでしてはいけないの?』という疑問を投げかけてくる子がいます。なんで?と言われて、大人はどう答えるのでしょうか?『なんで?って決まっているからよ』とか、『人に迷惑がかかるからよ』と答えたとして、次に課『迷惑がかかったらなんでダメなの?』と来るわけです。最近の小学生でも、論破という言葉が流行っていて、論破し合おう!と言って、テーマを持ち出し論破し合うというもの。とにかく、何に対しても、なんで?という疑問を持っている子が多いように思います。
・ルールは他人が勝手に作ったものだと思っている
社会の様々な目に見えないルールも含めて、自分たちが作ったものではなく、大人が勝手に作ったものだという考え。また、自分は賛同した覚えはないという思いから、ルールを守りたくないという行動に出る事もあるようです。時間がたち、社会人になって行けばおのずと分かってくるものもあるのですが、中学生や高校生の時代ではそこまで考えられないのも特徴と言えます。しかし、これは発達段階ではとても重要で、良い事でもあるのです。アイデンティティの形成を行っている段階ですので、目くじらを立てず、見守る時期とも言えます。
・自分だけは間逃れると思っている
事故や事件、窮地に追い込まれるような状況でも、自分だけは助かるという考えです。こちらは男の子に多いのですが、先を読むとか、注意力などで、まだしっかりとした視野を確立できていないので、想像力が乏しくゲーム感覚になってしまい現実的に捉える事が出来ないのです。実際に補導されても、まだ何とかなるとしか思えず、まさかという気持ちでいます。時には現実を見たくなくて、思考から逃げ続け元に戻れなくなってしまう子もいるようです。
・自分の主張と屁理屈の違いを未だ区別できていない
先ほど書いた、論破と似ているのですが、自分の考えを主張するという事と、屁理屈を区別できていないのです。論破というのは、物事を理論的に立証し、相手を納得させるという事なのですが、屁理屈ばかりを並べ立て、相手が疲れて言葉を失うと論破出来たと考えてしまう。幼稚な物事の捉え方ですね。小学生だけでなく、高校生になっても屁理屈を並べ立てて、それを自分の主張と思っているようです。他人事として聞いている分には問題ありませんが、昨今のニュースでも見るように、ふざけたつもりだったという言い訳では、世間は納得できないようです。
◆やってはいけない事をどうやったら防げるのか!?どのような教育をしていくべき?
さて、止むことのない迷惑行為ではありますが、冒頭にも書きました、自分の子供は大丈夫なのか?というところです。ニュースになったお子様の親御さんも、まさか自分の子供が。とお思いのことでしょう。一生懸命育てたつもりであれば、悲しくなってしまいますよね。幼少期にどのような事に気を付ければ防げるのか、難しい問題だと思います。中学生や高校生になると自我が芽生え始め、子供の関心は親から友人へ変わって行きます。どんなに大事に教育していても、周りの環境などによって大きく左右されてしまうのです。そのような状況であっても、無茶な事をせず、友人同士で楽しく過ごす程度に収まる子と、友人がいるとつい調子に乗って普段とは違う事をしてしまう子がいます。どのように幼少期の過ごし方が違うのでしょうか。子供への接し方で、私が聞いたお話からいくつか紹介してみたいと思います。
以前書いた記事より:子育て『褒めて育てる』だけは失敗!?子供の将来の為に必要な事とは
・小さいころ羽目を外し過ぎた言動を無邪気と捉えない
幼児の時は、テーブルやぬいぐるみなどに命が無い事を理解していません。そのため、テーブルさんとかお月様が笑っているなど、擬人化した会話があるかと思います。その頃はそれで正解なのですが、物には命が無く、また一方から見た形が、反対側から見ると違う形をしていると認識しだす5歳~7歳のころが、こちらのテーマを話をするのに適していると思います。ダメな行動に対して、しっかりと理由も着けて話聞かせる時期だと思います。可愛いのは分かりますし、反抗されたら寂しいですよね。でもその子が将来困らないために、心を鬼にするべき時もあるのです。
・食べ物や物(心の無いもの)に対して、どう扱うのかを丁寧に何度も伝える
食べ物を粗末にしてはいけない、物を大事に使うなど、小さい時から言われてきた方も多いのではないでしょうか。私も食べ物に関しては、農家の方々に感謝しなさい、と言われ続けてきました。こちらは、親だけではなく祖父母の教育も大きかったと思います。今は、親族に会う機会が少なくなってきているかもしれません。そのため、結局は親が担う事になってしまいます。昔は米粒一つ残さないという教育でしたが、現在はそこまで厳しくはないのではないでしょうか。そのため、食べ物や、物を大切にするという事が曖昧になってきているかもしれません。無理をして食べる必要は無いと思いますが、大切さを教えるのは別の問題ですので、食事の時などを利用して丁寧に何度も伝えると良いかもしれません。
・冗談で済まされる範囲と済まされない範囲をしっかりと線引きしてあげる
頭では、やってはいけないという範囲をおおよそ理解していますが、コントロールが効かないのと同時に、どこまでいけるか?という感じでチャレンジしてきます。大人が、ここを超えてはダメとしっかりと線引きをしてあげないと、どんどんやんちゃの範囲を広げてきます。うるさい程度なら良いのですが、けがをさせてしまったり、叩いてしまったりするのは線を越えています。この線引きがしっかりと出来ていないと、社会人になった時にとても苦労します。もちろん親だけではなく、学校の教師・塾の講師・習い事の先生など、取り巻くすべての大人が注意を払う必要があります。そうなるためには、教員や講師の方々にその旨を伝え、皆で見守っていくようにしましょう。
・子供を信頼して人に迷惑をかけてしまった時は一緒に謝りきちんと理由を教える
子供を信頼してという意味は、親が厳しくしてもいずれ分かってくれる時が来るというものです。虐待に値するような教育はいけませんが、親が謝る姿勢を見せるという事も大切です。他者に対しての迷惑行為の認識はそれぞれ違う事もありますが、親として、これはダメだと思う事であれば、しっかりとした態度を見せて、相手に対して謝る。また、なぜいけなかったのかを併せて説明すれば、子供も分かってくれるはずです。私の小さい時は、なぜダメだったのかを説明してもらえませんでした、ダメなものはダメという言葉が返ってきて、反抗したものです。上手く説明する必要はありませんが、理由になっていない説明も子供としては聞き入れにくいものだと思います。
終わりに
いかがでしたでしょうか。最近ニュースでは次々に同じような事が出てきていますね。本人は、その場のノリでやってしまったのかもしれませんが、大きな代償は本人だけでなく、家族にも及びます。本人が嫌なレッテルを貼られてしまい、今後の成長に大きく左右されてしまうような事にならないよう、親だけでなく、大人たちの毅然とした態度と理解で、子供たちを見守りたいものです。高校卒業と共に、大人の枠に入ってしまいます。昔と比べて早い社会教育が必要とされているのではないでしょうか。